Los Angeles、UCLA、そしてPaul Terasaki との再会

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Abu DhabiからLondon Heathrow空港経由で約24時間、Los Angelesに3月20日の午後3時に到着。ホテルへ直行、一休みして、散歩、そして夕食へ。

翌日はUCLA Luskin School of Public Affairsの日本からの留学生たちとホテルで面会。そこからUCLA へむかい、国際関係担当副学長 Cindy Fanほか数人たちといくつかの案件の会議。夜は去年、東京でも参加したGOLDのレセプション。

翌22日はUCLAのChancellor学長 Gene Blockほかと会議、さらにRoyce Hall1)の小さめのホールで‘Global Agenda in Post Fukushima’の講演。部屋は120人ほど(?)の方々で超満員。私の米国での恩師の一人Charles Kleeman教授もご夫妻で来てくださいました。

そのあとGOLDの会議へもどり講演。この日はKopernikのFounderの中村さんがOpening Keynote、私がClosing Keynoteと、去年と似た役割となりました。去年はRoos 米国大使夫人がある意味でPartnerでしたが...。

夜は再びUCLA Chancellor BlockさんたちとBeverly Hillsでも最高級のMontage Hotel Scarpettaでディナー。Irene Hiranoさん(先日亡くなられた米国上院議員Daniel Inouyeさんの奥さま)、西田国連大使桜井Japan Society会長Ralph Shapiroさん等々、UCLA Terasaki Center for Japan Studyのサポーターたちです。私もそのメンバーですが、去年の20周年記念行事には、福島原発事故調の最中で参加できませんでした。

翌日は、再びMontage Hotelで理事会。そのあと 最上階のProf. Paul Terasaki さんのPenthouseでちょっとしたレセプション。Dr. Taresakiは臓器移植の組織適合性と移植のアウトカムの研究で大きな貢献をした方で、私も腎臓の専門医ですから、腎臓移植患者も診察もしますし、UCLA時代からの仲間なのです。この組織適合性の研究成果で富を得て、UCLAに大きな寄付をされ、Japan Studyの研究所を作り、このような引退生活をされているのです。うらやましいですね。

いつものようにさわやかで、真っ青な青空の、懐かしいLos Angelesでした。Getty Museumを訪ねて、翌日帰国の途に就きました。

忙しく、またゆっくりした4日でした。