Nairobiから -3: Olympic Schoolを再び訪れる、外交の基本はこんなところから

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Nairobi の3日目。今日、会議での私の出番はないので、UZIMAの方にお願いしてOlympic School1)へ行きました。ここは「世界最大」といわれるKiberaスラムの端っこにある、ここの子供たちの公立の学校です。

私がWHO Commissionerの時、6年前(2006年6月)のことですが、ここを訪問してとても感動したのです。何しろケニアの公立小学校(8年生までで、200校程度あるそうです)ですが、ケニア全国でトップ(本当に全国1番、最近はすこし落ちてきて、でもトップ10番)の成績、その成績で公立高校へ進学できるのです。その中の成績トップの10%程度の生徒が公立の高等学校(4年制)進学できるのだそうです。

この10年間で、生徒の数も1700人程度から3000人ほどに増えており、先生の数は26人でとても大変そうです。教室いっぱいの生徒たち、1冊の教科書(家に-といってもスラムの中です-教科書はもって帰れません)を6~8人程度で一緒に使いながら勉強しています。電灯もないのでずいぶん暗い部屋もありますが、部屋に一杯の生徒たち。1クラスに70~90人ほどの生徒ということです。

昼休みも40分ほどで、昼食はトウモロコシ(Maize)を煮たもの。ちょっと試食しましたが、大変なものですよ、これでよく、、、と思います。このような世界のあることを実際に体験して知ること、は大事なことですね。

いくつかの教室を訪ねると、生徒のみなさんが先生と一緒にご挨拶。しつけもしっかりしています。

6年前に私が訪問した時の2006年の記帳ノートがなかなか見つからないので、今回、また同じようなメッセージを記帳してきました。私の知っている、日本から世界へ、アフリカへ行く若者たちが、時々メールやツイートで「Nairobiへ、、、」という時には、この学校へ行くことを勧めています。そして私の記帳も見てもらったことが2、3回あります。

そこに私が書いたことは、

Most moving experience of my life

I saw the future of the nation

(人生で最も感動した体験、この国の将来を見た)

と書いたのです。

Kenyaに行ったらぜひOlympic Schoolを訪ねてみてください。

午後はKanyaのNCST(National Council of Science and Technology)のCEO、Prof. Shaukat Abdulrazak1)さんを訪ねました。ちょうど理事会会長Prof. Vasey Mwajaさんも来られて1時間ほど歓談しました(写真)。お2人とも日本留学・滞在の体験者です。日本への思いが伝わります。これらが国際貢献の一番の価値になるプロセスですね。

私の今の活動基盤の1つのGRIPS 政策研究大学院大学はそんな大学院大学です。

Nairobi滞在もそろそろ終わり。あと数時間で ホテルを出発、帰国の途に就きます。

 

Nairobiから -2: Hideyo Noguchi Africa Prize、活躍する日本の若者たち

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Nairobi、第2日です。日本の若者たちの活躍は素晴らしいものがあります。主としてJICA経由の方に多くお会いしますが、他の経路、国際機関や米国の大学などの経路からの方たちもいます。活躍の場所はGabon, Congo, Kenya, Burundi, Senegal, Palestineなどです。ほとんどが若い女性たちです。すごいパワーです。

また、この会議を推進してきた大阪大学の中村安秀教授とそのスタッフで参加している留学生たち、Dr. de Los Reyesや大学院生のBelargaさん、また中村さんの活動から派生したHANDSの方たちの活動はKenya、Ethiopiaなどへも広がっている素晴らしいものです。

日本から米国へ留学している若い人たちで、キャリアの一部としてAfricaで活動している方たちにもお会いしました。若い人たちは素晴らしい人たちもたくさんいます。

昨日、初めてお会いしたのですが、以下のようなメールをいただきました。本当にうれしいです。

黒川 清 先生

本日MCH booklet conferenceでお話させていただいた現在UCLA School of Public HealthのMasterコースに在籍中で、この2か月はJICAでケニアに滞在しています。

黒川先生の「他流試合をしなさい、いろいろな人と混じりなさい」「世界に目を向けなさい」というメッセージに、学生時代のわたしはとても背中を押され、アメリカの病院でエクスターンをしたりカナダの医学部に2か月ほど在籍をしたり、東ティモールのNGOのクリニックにエクスターンに行ったり、今思えば英語もそれほど堪能ではないのにもかかわらず当時はとても勇敢だったと思うのですが、自分なりに世界に目を向けることのワクワク感を見つけるようになったと思っています。メーリングリストで黒川先生の勇気の出るお話や東海大学の同学年くらいの学生さんたちのアメリカエクスターン留学記を楽しく拝見させていただいたこと をよく覚えています。

私は卒業後、沖縄県立中部病院でのトレーニングと、その後、久米島という離島で臨床経験を積み、日本国内でもhealth disparityがあったのだという新鮮な驚きと、そこからsocial determinants of healthやcommunity empowerment、social capacity buildingなどに興味を持ち、UCLAでCommunity Health Sciencesを勉強することになり、今ケニアまで流れ着いたところです。

はじめから絶対こうなるんだ!!という大きな夢や強い意志があったわけではありませんが、自分のキャリアを決めていく過程で自分が必要だと思ったことや、おもしろそうだと思ったことを何となく選んできたら、だいぶ遠いところまで流れてきました。きっと学生時代から「いろいろなひとと出会いチャレンジすることの楽しさ」を知ってしまったのだと思います。

このケニア滞在中もケニアの田舎町出身のUCLAのクラスメイトが「私の実家に遊びにいったら」と言ってくれ、一人でマタツ(ぎゅうぎゅう詰めのケニアのバスです)を乗り継いで、彼女の実家に宿泊してきました。それほど裕福ではないけれど愛情にあふれたご家族で、見ず知らずの私をあたたかく迎えてくれ、別れた帰りにはひとのあたたかさに涙がポロポロこぼれました。

世界は広く、世界は狭いですね。

まだわたしも今後どのような道でチャレンジするべきか、この経験をどこでどのように生かしていくべきか、悩みはつきません。

いつも背中を押してくれる先生の発信をこれからも楽しみにしております。

夕方から、Hideyo Noguchi Africa Prize12)の特別セッションがありました。Wereさんが設立したUZIMA財団の若い男女2人による野口英世の紙芝居プレゼンに始まり、ビデオ映像を使ったHideyo Noguchi Africa Prizeの説明、私も委員長として挨拶、第1回の受賞のKenyaのMiriam Wereさんも横浜でのTICAD4の授賞式の様子の映像を見せ、長い間Africaで活動している外科医の杉下智彦さんが、若い時に自分が野口英世に触発され、この10年超をAfricaで活動していること、そしてWereさんに師事して活動している感動の物語、このセッションの最後はWereさんの熱い思いのスピーチで締めくくりました。

そのあとはレセプション。在Kenyaの山田公使も参加して、参加者みんなが一緒に踊り、とても楽しいひと時を過ごしました。

独立した多くの日本の若者たちのこのような活動こそが、人材育成の根幹であり、国の信用の基盤なのです。

 

London、そしてNairobiへ: Hideyo Noguchi Africa Prizeの話をする

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Photos in Nairobi by Mr O.T. Belarga of Osaka University Graduate School of Human Sciences.

New YorkからLondonへのフライトの出発が遅れたので、LondonのHeathrow到着前にNairobi への便には間に合わないと告げられました。幸いにNairobiでの時間には余裕があったので、あわてることなくHeathrowに隣接するSofitelで一泊。夕食はLondonで、連絡のついた友人1家族と、国会事故調でインターン、秋からOxford大学院でPolitical Sciencesの勉強を始めた留学生と日本食レストランへ。いろいろな話題に花が咲きました(写真)。

翌日は、Nairobiへ。夜9時過ぎに現地に到着、外務省からのお迎えの方とともに、ホテルに。明日から4日間、第8回母子手帳の国際会議です。これは大阪大学の中村安秀教授とHANDSが中心となって活動している会議です。

母子手帳は、皆さんもご存知の、日本のODAとしてアジアで成功したものの1つです。これをAfricaにも広めようという趣旨です。

Kenya政府も、4年前の第1回 Hideyo Noguchi Africa Prize受賞のDr. Miriam Wereさんも、かなり気合を入れて準備に対応してくれた、と伺っています。いくつかの国際関係機関ばかりでなく、アフリカ諸国、アジア諸国、Palestineからも代表が参加されました。全部で30数か国からの参加があるようです。

翌朝早くから会議場のMultimedia University of Kenyaへ。KenyaではMinistry of Public Health and Sanitation (MPHS)  とMinistry of Medical Servicesが別になっているようですが、なかなか理にかなった体制と思いました。

私はこの始まりのOpening Plenary Panelで、Wereさん、Minister of Public Health and Sanitation Honorable Beth Mugo大臣などと参加。在Kenya山田公使がご自分の母子手帳を見せながらの話されたのは、なかなか良かったです。私はこのOpening Plenary Panelで、「Japan Support for Global Health and the Hideyo Noguchi Africa Prize」について25分ほど講演しました。

お休みの時にいろいろな国の方にもお会いしましたが、Africaのいろいろなところで活躍している日本の方たち(やはり若い女性が圧倒的に多いのです)にお会いしました。その中には私がJICAのタイのパヤオのAIDS対策プログラムを統括していた時に、現地でお手伝いいただいた看護師さんもおられ、彼女はその後アフリカで活躍しているということです。このような出会いがある世界は素晴らしいですね。そして日本の若者たちの生き生きとした活躍がうれしいです。

明日の夕方には「Hideyo Noguchi Africa Prize, 4th Anniversary」セッションがあり、私も前回、また現在進行中の来年のTICAD5に向けた今回も委員長をしていますので、もちろん参加です。

広がる世界、そして日本の立ち位置などを考え、多くの方たちにお会いできる良い機会です。

 

国会事故調 -12: New York Cityへ、Japan Societyでの講演、そして世界へチャレンジ

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Photo credit to Mr. Ken Levinson for 3 photos at Japan Society Lecture, and to Dr. Y. Kuwama for 6 photos at its private reception.

Washington DCでの2日間の後は、New York Cityへ移動。Japan Societyで講演です。

もちろんフクシマ原発と私たちの国会事故調は世界に共通して関心が高いテーマですから、日米の多くの方がこられました。

私の講演は「Yoko Makino Policy Series」としてThomson ReutersのDaniel Basesの司会で進行。私は30分ほど国会事故調のグローバル世界での意義、活動の内容、報告書とその提言などについてお話ししました。その後はBasesさんと私の2人で2、3の意見交換後はご来場の方たちとの質疑応答でした。

この講演のビデオはhttp://www.japansociety.org/(Adobe Flash Player が必要です)で見ることが出来ます。日本英語ですが何とかですね(関連記事はこちら)。

大変に盛り上がったセッションで、私も皆さんと一緒に充実した時間を持つことができました。ちょうど1週間前には私の“部下(?)”のWilliam 斎藤さん(そのあとWashington DCで私に合流)もここで講演をしていて、日本社会の問題について私と同じことを指摘していた、ということでした。皆さん、かなり刺激を受けたようでした。Japan Societyの桜井理事長、Yoko Makinoさんにはいろいろお世話になりました。

参加者の中には、10年余前に、西元さんの努力で始まった(一部なのですが私もちょっと関与している、、)、New Yorkの病院での臨床研修プログラムで活動している日本の若いお医者さんたち、そして、彼らの先輩で私の東大時代の学生さんの一人で、今は臨床医としてNew Yorkで活躍している、Dr. Kuwama もいました。Japan Societyのレセプション、そのあとはTrump Towerの40階あたりの、Manhattanを見下ろす素敵なコンドのPrivate Receptionにもお招きいただきました、私が主賓でしたが、、、。

翌日は快晴で、気持ちの良い秋のNew Yorkの散歩を楽しみ、昼は廣木総領事と広報センターの金子さんと昼食といろいろな会話を楽しみました。

夕方はHarvard Clubで、Yoko Makinoさん、ご当地の若いお医者さんも参加して、その後は、Makinoさんのお友達3人とでBroadwayの「Chicago」へ。素晴らしいプロの仕事ですね。

この「Chicago」に、この夏と思いますが米倉涼子さん12)がRoxy役で出演したのですが、それに備えて1年ほどの猛練習をしておられたとか。これは並大抵の努力ではできない仕事ですね。何しろ世界のプロの競争の中での出演ですから。お相手はAmra-Faye Wrigh1)です。

でも、このチャレンジで米倉さんにとっては一皮むけたというか、とてつもなく大きく一つステップアップしたという感じだったのではないでしょうか。世界のトップ舞台での実体験は、何物にも代えがたい大きな自信になったと思います。世界での他流試合なのですから。

どの分野でもよいのです、日本の若者たちが、もっともっと多くの人たちが、日本からどんどん世界のトップの中で、自分の力で挑戦してほしいです。その体験は、どんなにつらくても、そして結果としてうまくいかなくても、何事にも代えられない貴重な経験になって将来の人生に大きな自信となり、自分を、そして自分の進路を見つめる良い機会になるしょう。

もっと多くの日本の人たちが世界で活躍できるのは間違いないことです。さあ挑戦してみよう、決してマイナスにはならないよ。もっと世界はグローバルに広がるよ。

 

国会事故調 -11: The U.S. CapitolとCSISでの講演、国会事故調英語版がウェブへ

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毎日、忙しい時間が過ぎていきます。事故調のスタッフの何人かは事務局仕舞いに忙しくしています。

私といえば、15日の午前11時直後に成田を出発、Chicago O’Hare空港経由でWashington DCに、同じ15日の午後1時30分に到着。

さっそくCSISへ向かい明日の講演、現在継続中の活動の打ち合わせなど。さらに国会事故調の第5回委員会にも参加し、いろいろと知見を頂いたCarnegie InstituteのRichard Meserveさんを訪問、そしてさらにNational Academyで米国議会の設定した福島原発事故調査委員会の活動について、委員長 Dr. Norman Neureiterとそれをまとめる主任Dr. Kevin Crowleyといろいろ議論をしました。以前に一緒に仕事をした、日本大使館勤務になっている次田さんたちがアテンドしてくれて、大変に助かりました。夜は次田さんのお宅でご馳走になりました。

国会事故調報告の英語版が、この日にウェブサイトに乗せられたのはとてもよかったです。このチームの方たちが本当によく仕事をしてくれました。そして、世界の皆さんが待っていたのです。

翌日の午前はU.S. Capitol1)へ。US-Japan CouncilとNBRの主催で国会事故調の報告1)です。Clinton、Bush両大統領の下で大臣Secretaryを務めたNorman Mineta さんも来られ、ご挨拶をいたしました。皆さん熱心に聞いてくれて質疑応答など、反応はとてもよかったと思います。

午後には、CSISでの講演で、国会事故調の報告です。会場が少し狭かったので、部屋いっぱいの方がこられ、ドアの外にも席が設けられました。80-90人ほどだったのでしょうか。この講演1) については、日本でもNHKのニュースがあったようです。

あと3週間で任期を終え、帰国される藤崎大使公邸へご挨拶。日米関係についてはいろいろ予測もしない事件がいくつも起こった大変な時の駐米大使、本当にご苦労様でした。

夜はこちらにいる、JETプログラムで日本を体験している数人の若い多様な米国人たちと、ご一緒。このような日本ファンを増やしていくことこそが、安全保障の根幹ですね。実感します。

今日の一日でも、私たちの国会事故調報告書とその背景、目的や意味が国内外に広がるのは、とてもうれしいことです。

翌日、主催者の方から以下のようなメールをいただきました。すこしでもお役にたててうれしいです。

Dear Kurokawa-sensei,

It was our great pleasure to host you at the Capitol Hill briefing on Tuesday on the findings of the Diet of Japan’s NAIIC report on Fukushima and a treat to moderate such an interesting and important exchange. We are deeply appreciative of your leadership and willingness to share your views on these findings with the Washington, D.C. policy community. It was a very powerful demonstration of the high standard of transparency that the Commission brought to the proceedings and your personal commitment to preventing future nuclear disasters.

We have received tremendous feedback on the discussion from those who attended and NBR, the U.S.-Japan Council, the Congressional Study Group on Japan, and the Senate Committee on Environment and Public Works were all honored to host you.

Thank you for your many contributions to global policy. We look forward to future opportunities and in the meantime, please let us know if there is anything we can do to support your work.

Best regards,