ケインズとシュンペーター

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0907231

ウォール街に端を発するリーマンショック(2008年9月)から、世界的規模の金融危機、経済の低迷が続いています。各国で公的な支援策が取られ、広い意味で政策競争の様相を呈しています。

そこで出てくるのがケインズ、そして、“イノベーション”を経済学の中心に据えたシュンペーターです。シュンペーターは強烈なケインズの批判者であったそうです。この一見“矛盾”する2人の経済学が、なぜ両方とも必要なのでしょうか?

この20世紀前半の2人の経済学の巨人について書かれた本が出ています。経済学者吉川 洋先生著の、「いまこそ、ケインズとシュンペーターに学べ」です。これは、とても面白いです。吉川先生らしく、きちんと検証が行われ、内容も面白い、経済学者向けに書かれているわけではないので、私でも結構理解できるのです。

このケインズとシュンペーターの2人の巨人は、同じ1883年に4ヶ月ほどの違いでそれぞれ大英帝国のケンブリッジとオーストリア(ハンガリー帝国 モラヴィア・・・今のチェコ東部)のウィーンに生まれ、死ぬのも4年程度の違っただけです(ケインズがブレトンウッズの翌々年1946年、シュンペーターが1950年になくなっています。これについては、谷口智彦さんの「通貨燃ゆ」が面白いです)。それぞれの時代と場所、生まれ育った背景、教育や先生との関係などについてもよく理解できます。

今の日本にとっても、政策的にもなかなか示唆に富む、内容のある読み物です。

特に面白いと思った箇所はいくつもありましたが、例をいくつか:

1.「・・・企業者(脚註)が新結合を行う動機はいったいなんだろうか、彼らは決して経済的利得、金銭を求めて新結合を遂行するのではない。そうシュンペーターは断言する・・・それどころか、「もしこのような願望が現れたとすれば、それは従来の活動線上の停滞ではなく彼の減衰であり、自己の使命の履行ではなく肉体的死滅の徴候である」とすら言っている。・・・企業者の人間類型につきシュンペーターは明確に語っている・・・」(p.56, 57)

脚註:この「企業者」と「起業家」について吉川先生に電話で問い合わせてみたところ、経済学的には「企業者」であって「起業者」とは言わないそうなのです。でも、一般的に読者にとって「起業家」のほうが適切かもしれませんね、とのことでした。以下の「企業者、企業家」については「起業家」と考えて結構です。

2.「シュンペーターの言う企業家、すなわちイノベーションの担い手としてまさに資本主義を資本主義たらしめる主人公は、誰にも備わっているわけではない特別の能力に恵まれた人間だ。「能力」といったが、イノベーションはけっして冷静な計算のみによって生み出されるものではない。むしろイノベーションを起こさないではいられない一種の衝動を持った企業家のみがそれを生み出しうるのである。
ここで想起されるのは哲学者フリードリッヒ・ニーチェ(1844-1900)の処女作「悲劇の誕生(1872年)」だ。古典古代におけるギリシャ悲劇の変遷をニーチェは「アポロン的なもの」と「デイオニュソス的なもの」という二つの対立する概念を用いて論じた。太陽神アポロンはその光によってすべてのものに明確な形をあたえる。理知・理性はアポロン的なものである。一方、酒の神デイオニュソスの本質は陶酔である。シュンペーターの考える「企業家精神」は、ケインズの「アニマル・スピリッツ Animal spirits」と同じように明らかにデイオニュソス的なものだ。」(p.227, 228)

さらに経済と人口減少について、

3.「ケインズはケインズらしく、人口減少と経済の関係についていかにも経済学者然として論じた。これに対してシュンペーターが残した言葉は、はるかに「文明論的」である。」(p.210)

そして、

4.「しかしやがて生身の人間としての企業家自身が、資本主義の発展に伴い自らの「効用」を最大化する「普通の人」に変質してしまう。個人の効用最大化はどのような帰結をもたらすか。子供を生み育てるコストを冷静に計算し始めたとたんに少子化が始まる。シュンペーターは、企業家精神の衰えを示す兆候として少子化の進展を挙げるのである。」(p.229-230)

この2人の巨人は、お互いをどう認識していたのか?これも大変に面白い人間のドラマなのです。

皆さんも、ぜひ読んでみることをお勧めします。温故知新です。

また最近、George A. AkerlofとRobert J. Shillerによる“Animal Spirits: How Human Psychology Drives the Economy, and Why It Matters for Global Capitalism”が出版されました。

この本を読んで、この半年に渡る我が国の政策に対する感想ですが、

スピードも大事ですが、「100年に一度」(グリーンスパン元FRB議長)などといって、検証もせず、いい加減な公的資金の投入では困ります。政局がらみであることもありますが、補正予算などをみていると、ばら撒きに近く、縦割り予算になっている。政治、産業、大学、そして科学者も、リーダーシップにかけると思います。

本当かどうかは別として、「100年に一度」というのであれば、数年先からの大転換を明示したビジョンと政策の導入をしなければなりません。これがないのですね。このブログやいろんなところで繰り返し発言し、指摘しているところですが。(参考: 123456

産業構造もこのままでいいのでしょうか?今の産業界に“イノベーター”が出てくるのか?

社会のどこにでも必要なのは“イノベーター”。つまりは「出る杭」、「進取の気性に溢れる人たち」です。この様な人たちが極めて大事なのです。