環境、低炭素社会技術ヒートポンプ

イノベーション25でも提言しているように、日本の環境技術、低炭素社会への技術には素晴らしいものがあります。これらの技術はこれからの経済成長のエンジンとなり、国際貢献の中心になれるものなのです。ヒートポンプもその一つです。

学者の立場から多くを発言し、政府税調議長を務めるなど政策立案と実行に多く関与してきた加藤寛先生、そして大学改革をリードする東大の小宮山総長との鼎談が、12月19日の日経新聞朝刊に見開き2面にわたって掲載されました。これは記事広告ですが、なかなか意味のあるものでした。小宮山先生は省エネの見本のようなご自宅を建てています。これは本来、低炭素社会への政策誘導をすべき具体例のひとつで、住宅、ビルに当てはまる政策課題です。抵抗勢力はどこにでもありますが。

ヒートポンプ製造の90%以上は日本が占めています。このような優れた環境技術は、海外諸国へ売り込み、経済成長する発展途上国への技術移転や製品の売り込みを通して気候変動対策、低炭素社会構築への国際貢献を世界にアピールできる絶好の「ネタ」です。国内の市場は規制等で政策誘導、一方で海外へは国際貢献、外交手段として生かすのは政策の選択でもあります。

しかし、1960、70年代に活躍したSONYの井深さん、盛田さんのように、何が何でも世界一を目指して世界のどこへでも積極的に出て行く企業リーダーの高い志とイノベーション精神が大事です。技術は素晴らしいけど、それを社会的、経済的価値へ転換する戦略が、国内ばかりを見ていては、上手く立てられないのです。これは、最近紹介した海外のレポートでも指摘されているところです。いろいろと理由や理屈はあるのでしょうが・・・。

世界遺産の町Bathから

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14日、LondonからBathへ車で約2時間の移動です。Bath郊外にあるLuckman Park(写真1)という広々とした荘園でしょうか、Hotel、会議の会場として使われています。昔は狐狩りなどもしていたのでしょう。このようなところには何度か行ったことがありますが、英国の豊かさを感じさせられます。ここが会議場なのですが、とにかく寒くて、天気は雨模様、とても外に出る気分ではありません。もっとも、到着してすぐに昼食を取り、ちょっと一休みした後は、ほとんど目的のCarnegie会議でしたけど。

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写真1 「母屋」玄関からエントランスを見る

ホスト国UKのKing顧問、USのMarburger顧問、ロシアのFursenko大臣、カナダのCarty顧問、MexicoのHicks氏(Director、National Council for Science and Technology)と私で会議を開始。各国の科学政策動向、気候変動への対策等についてプレゼンと議論を行い、話は大いに弾みました。EUのPotocnik大臣は飛行機が大幅に遅れて夜遅くに到着、フランスのPecresse大臣は15日早朝の到着となりました。ドイツSchavan大臣(King、Carty両氏とともに10月の京都STS Forumでお会いしました)は急遽入った公務で欠席です。

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写真2 前列向かって左からCanada、UK、France、後列左からRussia、USA、Mexico、EU、Japan

翌15日はドイツを除く全員が会議に参加。私は日本で2008年に開催されるG8、TICAD他の予定、また2008年はMillennium Development Goalsの中間年であること、そしてまだ出たばかりの環境審議会の報告書ドラフトなどを中心に議題を提供しました。午後にはBaliの「COP13」の速報が入り、夕方にはLondonからTVのライブ取材が来てKing卿が対応。この辺が、英国の報道と政府対応の上手さですね。感心します。

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写真3 左から、EU、Japan、UK、Mexico、USA

夜はBathの街をツアー。ガイドのおばさまがとても張り切って、丁寧に案内してくれました。街の中心を30分ほど歩きましたが、気温は零下、とても寒かったです。食事はLuckmanで。

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写真4 食前のChoir

翌16日午前は、シェルパを入れての会議。2008年のG8サミット、これからの大型科学政策、低炭素社会科学技術への意見、要望等々が話し合われました。

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写真5 玄関前で左から、西ヶ廣公使、私、板倉参事官

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写真6 玄関前で、松浦一等書記官と

会議終了後はLondonから前夜から来てくれていた西ヶ廣公使、松浦書記官たちと歓談。しばしの後、板倉参事官とHeathrow空港へ向かいました。17日月曜の午後に成田着。短い旅はいつものことですが、しかし、くたびれた100時間の旅でした。

Londonから

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いよいよ今年もあと残すところ3週間。12月13日からロンドンへ向かいました。14~17日、BathでG8科学顧問、担当大臣が集まるCarnegie会議なのです。

London到着後、一休みしてRoyal Societyへ。会長のLord Martin Reesさん(写真1 コラム:2006/2/82006/9/11)を訪問しました。2005年のGleneagles G8 Summit以来、Royal Societyと日本学術会議との間では親密な協力関係が構築されています。来年のG8では日本学術会議の活躍を期待しています。

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写真1 Royal SocietyでMartin Rees氏、大使館の松浦一等書記官と

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写真2 Royal Societyのバルコニーで、Barnie Jones氏、Rees氏と
(ちょっと見難いですが、私の右後方のオレンジ色の二つの「目玉」のようなものはBig Ben。左に見えるのは観覧車です。)

13日は野上大使公邸で夕食会(今年の1月にもお世話になりました)。今年の初めまで日本学術会議事務局長を勤めた西ヶ廣公使、高岡公使、松浦一等書記官、同行の板倉参事官、そして11月のAbu Dhabiにも参加してもらった、ロンドンベースの「クリーンエネルギー」分野に特化したベンチャーキャピタルの野村さんがご一緒です。野上大使は政治ばかりでなく、経済に実に詳しい。また、第2次大戦で日本の捕虜になった英国人(POW)との年次会などに参加され、誰かが亡くなると万難を排して葬儀に出られているそうです。地味ですが、このような目立たない活動は本物の外交の基本です。どこでも付き合いというのは人間同士なのです。

それにしても、英国はこの10年でGDPが約40%も成長していて、その中心はサービス産業ですが、金融力も恐るべし。このところCityの取扱額はNYSEを超え、さらに「サブプライム」を嫌って米国から、人も資金もCityに集まり、さらに活発化しています。後に知った情報ですが、今年のCityのボーナス全体も極めて巨額(1兆円を超える!)で、景気の良さを反映しています。その辺の事情、政策、Gordon Brown首相の人気の急激な低下等々、野上大使の分析は地に着いていて、たいしたものです。

話が弾みに弾み、結局、夕食会は夜中の12時まで続きました。野上大使、そしてお付き合いいただいた皆さん、ありがとうございました。

最近の国際ジャーナルで日本特集

最近、英語の雑誌ですが、The Economist(December 1st)とNewsweek(International版)で、日本の特集が組まれました。

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写真1 The Economistの特集のカバー

The Economistでは、表紙に「A 14-pages special report on business in Japan」とあり、特集のはじめに「Going Hybrid」(写真1)とあります。5つの報告のタイトルは 1)Message in a bottle of sauce; 2)Still work to be done; 3)Not invented here; 4)No country if an island; and 5)JapAnglo-Saxon capitalism (スペルの間違いではありません!でも、これ本当?)となっています。

タイトルは魅力的ですが、この特集全体としては、予測されるところですが、日本の企業もいい方向に動いているが、動きが遅く、スピードが課題だという指摘です。各報告のタイトルのサブタイトルを見ると、内容を読まないでもそのメッセージが読み取れるのではないでしょうか(英語でごめんなさい、これは訳しても仕方ないので我慢してください)。

1)Message in a bottle of sauce; Japan’s corporate governance is changing, but it’s risky to rush things;
2)Still work to be done; Japan’s labour market is becoming more flexible, but also more unequal;
3)Not invented here; Entrepreneurs have had a hard time, but things are slowly improving;
4)No country is an island; Japan is reluctantly embracing globalization; and
5)JapAnglo-Saxon capitalism; Have Japan business practices changed enough?

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写真2 Newsweek、12月10日号の表紙

Newsweekの12月10日号(写真2)では、もっと直裁的です。表紙のキャプションは「How Japan Lost Its Groove; The Asian powerhouse struggles to explain its stumbles in hot technology」です。本文のタイトルは「Why Apple Isn’t Japanese」

私の友人の石倉洋子さんもインタビューを受けたようで、その分はOn-Line版に出ていますし、また石倉さんご自身のblogにも、ちょっと申し訳なさそうな感じに書かれていました。

世界は日本のビジネスのことを気にしているのです。どうなりたいのか、何をしたいのか、良くも悪くもね。

久しぶりのCalifornia-3、Stanford大学で講演

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6日は朝からあまりぱっとしない天気。ポチポチと雨も。まず、Enhance Inc.のMs. Shizu Munekata(「シズさん」と呼ばれているのでしょうか?)とお会いし、いろいろなお話を伺いましたが、これもなかなか楽しいひと時でした。それからランチ。3年ぶりぐらいですが、バイオべンチャーでは伝説になりつつある金子さん梅田望夫さん「ウェブ時代をゆく」にも出てきます)、そしてblogや「ヒューマン2.0」などのワタナベチカさんと。みんな初対面のような感じがしないのも変な気分ですね。

ランチの後は、Silicon Valleyにベースを持つ循環器系バイオベンチャーの方とお会いしましたが、その会社の役員やらなにやらに共通の友人が何人もゾロゾロと出てくるのです。世の中、これが楽しいですね。どこで、誰に会うかわからない。そこから一人ひとりの評判が、いつの間にか広がり、ヨコ、つまり「フラット」な社会に定着していく。これがグローバル時代の「個人力」、そして「信用」になっているのです。誰がどうつながっていくかわからない。だからこそ気をつけましょう。いつも誠実に、真摯に、その都度自分のベストを尽くし、能力を磨くことです。

午後3時からProf. DasherさんとStanfordへ。歩く距離によって傘がいるかいらないかという、グズグズした雨になりました。彼のオフィスへ寄った後、4時過ぎから「アジアのイノベーション」シリーズの“トリ”で講演をしました。学生ばかりではなく、日本からの留学生や教員の方々、会場で何人も紹介されましたが、学外の方や、ご当地の著名な方も何人かおられました。

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写真1 セミナーの講堂でDasherさんと

セミナーですが、私の講演のタイトルは「Innovate Japan」です。日本人はまず、「天気が悪くて、でも来て頂いてありがとう」的な、言葉からして低姿勢で、そしてなんとなくあやまり言葉から話を始めるのか、というところから私の話をはじめました。話のポイントは、以前にもご紹介していますがこちらはウェブキャスト)、2006年2007年のNobel平和賞がグローバリゼーション時代のイノベーションブームの鍵を示しているということと、枠にとらわれない発想の源泉であるここSilicon Valleyが、いまや「クリーン、グリーンテク」のメッカ、「クリーン、グリーンバレー」になりつつあるということです。このセミナーはいずれウェブで見れるようになりますから、内容、質疑の様子などはその時までお待ちください。

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写真2 セミナーの後で、一部の参加者の皆さんと

しかし、このことこそが情報化時代の恐ろしいところですね。世界中で、誰でも映像で見ることができるのです。ここが本質的に「グローバル時代」の恐ろしいところなのです。講演録という文字よりはるかにインパクトがあり、「ナマ」と同じで隠せない。多くの場合ほぼリアルタイムで見れる、見える、知れる。「フラット」に誰もが見ていて、誰からでも見られるところで、あの人は誰?どんな人?何ができるの?どの程度に?ということが知れ、いつの間にか世界に広く知れ渡ってしまうのです。肩書きが通用しなくなっているのです。国境を越えた「個人力」の価値、これが私と石倉さんの本「世界級キャリアの作り方」でのメッセージのエッセンスと言えるものです。日本の社会での「エライ」肩書きの価値も、どの程度のものか、みんな世界に知れ渡っているのです。どこに行っても、何を言っても、これは隠せないのです。社会的地位の高い肩書きほど、「実力との乖離」があれば、グローバル時代にはそのひと個人、属している組織、そして社会、国家の信用にかかわってくるのです。

実は私も怖いですよ、見るのが。でも実はこれが勉強になるのです。人から、学生から、相手からフィードバックをもらう、自分で自分を見てみる。そこで学び、次に活かす。これが大事だと思います。自分を見つめ、そこから謙虚に学ぶ、次のステップへ向かう、という「自己研鑽」のプロセスです。

講演のあとは、いくつも質問が出ました。それも終わって、いつものようにみんなで、わいわいがやがやと(写真2)。日本の企業(主に大企業ですが)や大学から若い方たちも何人か来ていました。近所の高校から女性が一人来ていて、今度学校にも来て話してほしいといわれましたので、次の機会にとメールで返事しました。参加の皆さん、あいにくのお天気でしたが来ていただいてありがとう。皆さんに感謝です。

IMAnet の八木さんも来られていて、さっそくblogにこの日のことを書いてくれました。Thank you。

久しぶりのCalifornia-2、Palo Altoから、シリコンバレーの秘密

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5日の夕方、2時間遅れたSan Francisco飛行場でGlobal Innovation Ecosystem 2007(GIES2007)でもご一緒したDeepak Bangaloreさん(“DB”と呼んでいます)とOxford大学に通う娘さん、ソウルで開催されたWorld Knowledge Forumでお会いしたPanasonicの星さんが迎えてくれました。そのまま、大急ぎでStanford大学のある町、Silicon Valley(SV)の「へそ」、Palo Altoへ。向かった先は「TiE」(The Indus Entrepreneurs)

この場所は、その名が示すようにいくつかの事務所がわさわさと入っていて、SVのVenture Capitalistsや起業家たちがたくさん集まっています。名のとおりインド系が主流でしょうか、広い人脈です。websiteを見れば、活動が日常的に盛んなことがわかると思います。

インド系の方が多いようには見受けますが、100人ほどのたくさんの人たちが集まって、テーブルを囲みワイン、軽食等々、意見や情報の交換会。明るく密談という雰囲気です。何人もの方を紹介され名刺交換、こんな極めてオープンな集まりが、ナント毎週2、3回も行われているそうです。すごいエネルギーですね。こんな活動が日本で考えられるでしょうか?毎回出ている人は一部かもしれませんが、起業家や研究者、そして投資家がわいわいとそんな頻度でこれだけ集まるなんてとても考えられません。これがSVの強さの秘密のひとつでしょう。世界中にこの「TiE」のネットワークが広がっています。これを組織し、提供するインドの強さもすごいですね。

この夜はStanford大学の理事長(Chair, Board of Trustees)で、Pioneer of Venture CapitalistといわれるDr. Burton McMurtryの話を、対談という形式で聞きました。素晴らしかったです。このような方々が常連なのですね。McMurtryさんにしても普通の人のようで、そんな方に見えませんでしたが、このような集まりを通じて、いろいろとVenture Capitalの情報を交換し、人材の指導や育成、起業戦略などのネットワーク作り、成果作りを考え、実践しているのです。このあたりにSVの成功の秘密があるのでしょう。きわめてオープンな、こんな「場」がいくつもあるのはすごいことです。

そこからはお先に失礼して夕食。DBと娘さん、星さん、日立の広瀬さん、マサ イシイさん(元McKinsey、SVに定着しているVenture Capitalist)、そして東北大学の会議から帰ってきたばかりのProf. Richard Dasher(今回のStanfordでの私のホストです)とご一緒しました。いやはや、沢山の話題で大いに盛り上がり、石井さんの奥様もこられて2次会へ。そこへ「TiE」の今晩のホスト、次期会長のVish Mishraさんも加わり、長い、しかし、楽しい、一日でした。

久しぶりのCalifornia-1、UCLAから

12月は4日からCaliforniaへ。まずUCLA時代の恩師、Kleeman先生(写真1)ご夫妻とWestwoodのNapa Valley Grilleで昼食。その後、UCLAが新たに設立したCalifornia Nanosystems Institute(CNSI)へ(写真2)。ここはまだ全開ではありませんが、いくつか活動が始まっています。東京大学や、つくばの材料研究所などとも共同研究が始まるようでうれしいことです。ちょうど九州大学Silicon Valley OfficeのProf. Matsuiも来られていました。ここで行われる研究は、医学、工学、化学などの共同作業ですので、ちょうどこれらの学部に囲まれた真ん中に研究所が立っていて、研究者の参加システムにもいろいろ工夫が仕込んであります。このNano Tech CenterはBioとの連携が主眼で、Nano材料に主眼を置いているUniv. of California Santa Barbara(あのBlue Diodeの中村修二さんがスカウトされたところ)との連携も組んでいます。何人かの研究者と懇談、お二人の日本の方にもお会いしました。面白い研究をしています。それぞれ研究に携わってほぼ10年と20年のになるそうです。がんばっていますね、嬉しいです。

翌5日は医学部長のGerald Leveyさん(写真3)を訪ねました。本当に久しぶりです、12、3年ぶりでしょうか。お互いに健闘を祝し、1時間ほど話し込みました。その後、小児科のMcCabe教授(写真4)と面談。慈恵医大小児科の衛藤教授の友人でもあり、同じ小児遺伝学分野を専門にしています。以前いたColorado大学時代からDoublestrand Ranchで馬を育てているのだとか。優雅というか、スケールが大きいというか、うらやましいですね。

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写真1 恩師のKleeman先生と

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写真2 UCLA California Nanosystems Institute(CNSI)で

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写真3 Dr. Gerald Levey医学部長と

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写真4 Dr. McCabe、Dr. David Lundberg(UCLA-CNSI国際連携担当)と

やはり、長い間お世話になった大学は懐かしいですね。戻っておいでよと呼びかけているようなCaliforniaの突き抜けるような青い空、どこまでも明るいキャンパス、大学の町Westwood、どれもこれも懐かしい、戻りたいなぁ、という24時間でした。

飛行場へ向かい、San Franciscoへ。ところが、フライトが2時間ほど遅れて、San Francisco到着は5時半でした。