読売ウィークリーで紹介されました。

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医師不足で病棟閉鎖も・・・ 医局制の揺らぎで医療大混乱

「白い巨塔」の象徴とされた医局制度。教授を頂点とする権力構造は多くの弊善が批判され、医局を廃止する方向は世の趨勢といえる。しかし、その過濃期にあって現場の医療が混乱をきたじている。医師不足のため、満足な医療行為ができなくなる病院が続出しているのだ。(ジャーナリスト 上野 玲)

地域の有力病院で医師が足りなくなり、病棟の一部を閉鎖するという異常事態が、今年4月に起こった。千葉県の組合立国保成東病院で、勤務する内科医が開業や転職などのため、9人中7人が辞めてしまい、補充が難しくなったのだ。そのため、救急医療や、新規の入院受け入れを制限せざるを得なくなり、近隣の住民からは不安の声が上がった。「この病院には、これまで、千葉大学で研修した医師を紹介していたのですが、千葉大学としても、医師の不足により余裕がなくなって、要請に応えられなくなった」と、千葉大学医学部附属病院長・齋藤康教授は困惑した表情で説明する。だが、こうしたケースは、この病院だけではない。ここ数年、多くの地方病院が、医師不足で悲鳴を上げている現実がある。

「任意組織」にすぎない医局
その根底に横たわっているのは、徐々に表面化してきた医局制度の揺らぎである。明治時代に大学医学部が創設されて以来、連綿と続いてきた医局制度に何が起きているのか。
日本では、医学部を卒業して、医師免許を取ると、自動的に大学病院の医局に属する。それが当たり前のことだった。
この制度には法的な根拠はなく、「いわば各科の任意組織的な存在」(前出・齋藤病院長)に過ぎない。それにもかかわらず「教授を頂点としたピラミッド形式の人事体制を堅固につくつてきた。教授は絶対の権力を振るい、大学内の昇進や研究費の配分、そして関連病院への医師派遣の権限を握る。
当然、そうした独占的な形態は弊害を生みやすい。山崎豊子氏の小説『白い巨塔』は、その「象牙の塔」で繰り広げられる、生々しい医師たちの実態が描かれている。
最近になって、そのような患者不在の医療システムに対する批判が相次ぎ、医局制度を見直す大学が現れだした。青森県の弘前大学では、マスコミから不透明な資金流入を指摘され、2003年に医局制度を廃止した。その結果、大学内の透明度は高まった。だが、その一方で、「思わぬマイナス面もあった」と語るのは、弘前大学医学部の新川秀一教授だ。「かつては僻地への医師派遣は、講座や診療科の方針に従って行われていましたが、(医局制度がなくなった)今は、個人の意思を尊重しなければならず、僻地の医師確保が困難になっています。それは大学に残らず「大都市圏の病院に就職する医師が増えたから。この傾向は今後、ますます強くなっていくでしょう」
また、04年度から始まった医師臨床研修制度が、医師の大学離れに拍車をかけたと指摘する医師もいる。この制度は、出身大学にとらわれることなく、研修先の病院を、研修医が自己判断で選び、2年間にわたって各科を順番に回って研修するというもの。この制度の導入前に大学に残っていた研修医の割合が72・66%だったのに対して、導入後は5倍以下にまで減少してしまったという。
05年に厚生労働省が実施した研修医に対するアンケート調査でも、研修先の病院を決めた理由として、「症例が多い」として一般の稔合病院を選んだのが40・4%だったのに比べて、大学病院は18・9%にとどまっている。大学に残る研修医が減れば、地方病院へ派遣する余裕はなくなる。
もちろん、研修医が地方の総合病院を望めばいいのだが、「その希望は、患者数が多く、最先端医療を行っている大都市圏の有名病院に集中しています。大学病院や地方の平凡な病院は人気がなく、ここでも二極化が進んでいる」と、ある国立大学の医学部教授は、ため息を漏らす。
そうした研修医の意識が複雑に重なり合い、医師不足が各地で深刻化していると考えられる。

第三者機関の審議で医師を派遣
では、医局制度はこのまま、なし崩し的に消滅してしまうのだろうか。弘前大学だけでなく、群馬大学、東海大学などでも医局は廃止されており、その他の大学でも教授の意向を押しつけるような医局は減りつつある。元東海大学医学部長で、現在は日本学術会議会長の黒川清氏は、東海大学時代から、医局制度の見直しを唱えてきた。「社会背景の変化とともに、医師の養成システムも変わっていかなければならないが、同じ大学の空気しか吸っていない純粋培養は時代にそぐわず、多様な社会の要請に対応できない。医局にこだわらず、医師を他の大学や市中病院で育てて“混ぜる”ことにより、違う価値観、違う方法論を学び、知・心・技を備えた質の良い、順応性のある医師が生まれると思います。そのためには医学部教育を根本から変えていかなければいけない」
例えば、アメリカ、カナダのように4年間は一般の大学生と同じカリキュラムで勉強する。さらに、一度社会に出た人や、他大学の出身者も交ざって、4年間のメディカルスクールに進むのが、これからの方向だ。そして、その課程を修了した者には、医学博士の資格を授与する。就職先も出身大学だけではなく、募集のある大学や病院を自由に選ばせる。その後は、専門医、家庭医、研究医など多様なキャリアを目指すのがよいとされている。「このようなシステムによって、医師の(知・心・技という)普遍性が高まり、結果的に医学の質が上がるでしょう」(黒川氏)
こうした意見がある一方で、現行の医局制度を刷新したうえで残すべきだという意見もある。
山形大学医学部長の嘉山孝正教授は、医局制度の必要性を主張する代表的な人物だ。「山形大学でも旧弊な医局制度が残っていましたが、それを根本的に変えるシステムに取り組んできた。不透明な資金の流れは一切なくし、医師の派遣に関しても、民間人を含む第三者機関をつくり、そこで審議をして、県内の病院に適正配置するようにしたのです」
医局の長である教授の意向だけで医師派遣が行われる弊害を一掃したというのだ。医局制度の必要性については、「医師はいうなれば職人で、そのため徒弟制度的な部分が重要です。優秀な先輩の手技を若い医師が学んで成長していく―これがなくなってしまうと、マニュアル通りにしか診療ができない医師ばかりになってしまい、医療の質が下がってしまう危険性があります」(嘉山教授)。
医局制度の改革によって、山形大学医学部附属病院は患者の満足度全国一という快挙を達成した。「要は医局をどう運営していくかが問題。すべては医局の頂点に立つ教授次第です。その教授が素晴らしければ、医局はそのメリットを最大限に発揮するでしょうし、旧態依然の封建的運営しかできない教授の医局は自然淘汰されていくでしょうね」(嘉山教授)
医局をめぐる議論は、それぞれ一理あるように思える。少なくとも、山崎豊子氏が描いた「象牙の塔」は、もはや時代遅れだということはできるだろう。患者側の立場からいっても、冒頭に挙げた例のように、病院から医師がいなくなるという事態を招かないために、医局の変化が望まれるのは当然だ。

この先は、「読売ウイークリー(2006年6月4日号)を参照してください。