前回のブログに続きまして、「Wedge」で紹介される偉大な思想家、教育者、福沢諭吉についての私のコメントの後半部分を紹介します。福沢諭吉は現在の日本の問題をそのまま指摘しています。という事は、当時から日本人の考え方は「鎖国状態」のままなのではないか、というのが私の考えです。なぜか?これが私から皆さんへの“問いかけ”です。

 この福沢、そして丸山の思想の底流を流れるものに「議論の本質を定る事」、「権力の偏重」、「古習の惑溺」などがある。これが日本の思想、文化の根底にある「官尊民卑」であり、現代の日本の問題にそのまま当てはまる。「故習の惑溺」とは「ひとつの事に溺れて正しい判断に迷う」事であり、その刷り込み現象によってもたらせている権力、官僚組織の病理的側面に具体的に光を当てているのが福井秀夫の「官の詭弁学」である。これは議事録の公開で明らかになった各種政府審議会のまか不思議な答弁集である。「行政訴訟法」、「労災保険」、各種規制改革に関する珍問答集である。個人としては優能なのであろう多くの官僚が詭弁とも言える「できない理由」を繰り返えす。立法と行政の違いも不明瞭、司法の独立さえ危うい民主国家といわれる日本。福沢の指摘は今もそのまま当てはまるのである。日本はどうする、どこへ向かうか。

 「文明論之概略」、そしてその丸山の「読む」でも不可解なのが、福沢の「脱亜論」であろう。しかし、最近この疑問が解けた。平山洋「福沢諭吉の真実」である。福沢の多くの著作、私信、そして「時事新報」をめぐる編集者と全「社説」とその発表された時代背景と意義、また明治版、大正版、昭和版、現行版「福沢全集」の分析と編集責任等を詳細に分析した最高級の福沢研究の成果といえる。これによると、脱亜論の趣旨は福沢の真意ではなく、むしろ意図を持って石河幹明(1988-1922年の「時事新報」社説担当)が創造、いや捏造した福沢諭吉像なのである。しかも、脱亜論は1960年代から出始めたのである。このような展開を、当時の時代背景と福沢の時代背景、また鍵となる福沢研究者が自分自身で原点を充分に検証する事がなかったことなどの理由と解釈も示している。平山は、研究者自身が原点を読み、検証することの大切さを教えてくれる。

 福沢の指摘していたのは、維新時代の日本の課題は、単に制度の改革ではなく精神革命の問題ということだ。しかし、これは正しくいまの日本の問題ではないか?精神状態は今でも鎖国のままなのではないか、そして開国できない理由ばかり言っているのでは、と私には思われるのである。そして福沢諭吉の偉大さに感動する。

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