日本医師会の選挙について

以前から書いていますが、今のそしてこれからの日本の医療制度はかなり危機的状況だと思います。

研修制度の必須化の影響で、(今までみんな知っていたけど誰も何もしなかった)医局による医師の出向人事や地方の医師不足問題、それに対する医局への金銭のやり取りなどが毎日のように新聞をにぎわせています。これらは、研修制度の必修化という制度変更の下で、全てが表にでるようになったということです。

これは大変なチャンスなのです。もっとしっかりとした将来への医療制度を提言、構築し、毎年、何のために、そしてどんな政策を導入するのか、国民的議論にするべき時なのです。その場、その場の手当てでは決して解決に結びつかないのです。今が国民のより広い理解と支援を得るよい機会です。

ところが、この大事なときにその中心的な役割を果たすべき日本医師会は4月1日に会長選挙が行なわれます。4人の候補者が立候補し、誰がなってもそれぞれ立派な方たちですが、長期的な政策の立案と普及させる戦略等を考えられるしっかりとしたリーダーが出てこないと医療は後退してしまいます。医師免許の更新、勤務医が参加しやすい会費とプログラム、活動、医師の質向上への社会に理解される広報戦略等々です。もし日本の医療が後退してしまうと、回復するには10~20年かかるかもしれません。

医師会も「全国区」という考えで全員が一致団結するべきです。執行部も「全国区」にしなければ、益々弱体化し、日本の医療はかなり荒廃すると思います。

せっかくのチャンスだというのに、こんな事ではかなり心配です。

日本学術会議改革法案が衆議院を通過

先週の20日と今週の23日の2度にわたり、日本学術会議改革法案についての衆議院文教科学委員会が開催され、私も「参考人」として呼ばれました。

与党、野党委員ともに学術会議の改革には理解を示していました。学術会議のこの5年の国際的活動や、先日2月5日の国連で私たちの報告書が、Kofi Annan事務局長の招待で発表されたことなどを引き合いに出しながら、これからの科学者コミュニティーと21世紀の世界的課題等について答弁しました。結局(珍しい事だそうですが)、全員一致で承認という事になり、23日午後の衆議院本会議で満場一致で承認されました。来週にも参議院での審議になるでしょう。よい経験をしました。

ところで、日本学術会議は何を、という質問はよくありますが、このサイトを見てくださる方たちは「学術の動向」などの誌面からも少しずつご理解していただけていると思います。これからの国際的課題について等、科学者たちの社会的責任が問われているのです。このような活動の一例が、私のコメントも含めて「Science」(3月12日号)にも報告されています。また、20日の衆議院の委員会には「Nature」のDavid Cyranoskiさんも傍聴に来てくれました。近く記事が出るのでは、と期待しています。「Nature」では「日本の科学特集」を企画していて、こちらも近く出版されることと思います。

今日は東海大学医学部の卒業式。夜は謝恩会があリました。このクラスの学士入学の人たちとは「医学生のお勉強」を作った私の仲間であり、なんとしても出席しなくてはと思っていたのですが、昼間は内閣府の会議、夜は年度末ということで小泉首相と総合科学技術会議議員(私もそうなのですが)と総理官邸で夕食という事になり、この大事なお別れに出席できませんでした。メッセージは代読してもらいましたが、出席できずとても残念でした。

今年医学部を卒業される皆さん、研修先も決まり、国家試験も終わり、しばし来た道を振り返りつつ、これからの研修と医師としての生活への期待(と少しの不安)にゆっくりと思いをはせてください。そして、しばし、桜と春を楽しんでください。

ジェンダー問題についての医学会に参加

今日は「性差医学」の第1回目の集会に一部出席しました。千葉県の堂本知事と千葉県衛生研究所長の天野恵子先生の主催で、Columbia大学のマリアンヌ・レガート教授(Partnership for Gender-Specific MedicineのFounder and Director) が、大変すばらしい話をされたと聞きました。私は午前は所要があって出られませんでしたが、最後に挨拶をさせていただき、これら「性差医学」には社会的歴史があって、18世紀の中ごろ「哺乳類」に何故“mammalia”と女性の特徴の乳房を使った背景にも触れました。不思議でしょう?ほかの種ではこんな性に関するあからさまな言葉は使っていません。何故、と考えるのがいつも楽しいのです。当時の西洋の科学は博物学による分類が盛んで、“mammalis”はリンネの命名です。

さらに1901年から始まったノーベル賞最初の女性受賞者がキュリー夫人(1903)、2度目の女性受賞者もキュリー婦人(1911)、3人目はキュリー婦人の娘であるという事を話しました。こんな男性優位の時代にこんなすごい女性がいたのです。

ノーベル賞を2度受賞した人は何人いるでしょうか?答えは4人です。キュリー婦人を除けば勿論男性です。1人はボーリングですが、彼が受賞した賞の一つは平和賞でしたから、ちょっと違うかとも思います。もう1人はバーディーン(1956)、半導体およびトランジスタ効果の発見と1972年に超電導現象の理論的解明です。そしてサンガーが1958年にたんぱく質、インスリンの構造に関する研究で化学賞、1980年に核酸の塩基配列の解明で化学賞を受賞しています。

キュリー婦人は親子(母娘)での受賞ですが、これも他に一組、父息子での受賞があるのみです。いかにキュリー婦人がすばらしいか理解できると思います。

ところで、日本にはそのような人はいるでしょうか?考えてみると津田梅子さんがそうだろうと思います。明治4年、7歳の津田梅子は他の4人の女性とともに明治政府の使節団の一員としてアメリカへ渡り、11 年間アメリカのランマン婦人宅で娘同様に育てられ、18歳で帰国。大きな困難を越えて女子教育に大きな貢献をしました。7年後の明治22年に再度渡米、Philadelphia郊外の女子大学Brym Mawrへ留学(私も行ったことがありますがすばらしいキャンパスです)、女子大学でも理科教育を重視していて、生物に興味を持った津田梅子は当時のMorgan教授(このMorgan教授は1933年に染色体の研究でノーベル賞を受賞しています)とかえるの卵を使った研究の論文を発表します。彼女の才能は高く評価されていましたが、日本に帰国。帰国後、津田塾女子大学を設立し女子教育に一生をささげました。ただただすばらしい人です。感動します。

この頃は「熱く」、志の高い人が何人もいました。今は、どこへ行ってしまったのでしょうか。