世界の動きの現実と乖離した「リーダー達」の問題

久しぶりです。もっと頻繁に書くべきであることはわかっていますが、何しろやたらと忙しくて時間がないのです。申し訳ありません。

経済再生、産業再生、不良債権問題等々どうでしょう。あまり明るい出口が見えませんね。1989年のベルリンの壁の崩壊に始まる、東西冷戦構造の終焉、そして情報と交通の発展による「グローバリゼーション」の時代。そんな急変する時代になぜか取り残されてきた感のある日本。1980年代半ばには「Japan as Number One」などと言い、1990年代のはじめでも「政産官の鉄のトライアングル」、「政治家は三流、官僚は一流」などと言っていた人たちは誰でしょう。もう忘れたのでしょうか。現在の日本の低迷には、「なぜ取り残されたのか」が理解できない、歴史観、世界観のない、世界の動きの現実と乖離した「リーダー達」の問題が底辺にあると考えています。これらの理由についてはいくつかこのHPでも書いてありますので参考にしてください。

低迷は徐々に進んでいくものですが、表面的には、あるとき突然、明らかな形で現れてきます。これに、きちんと気がつくか、これが「リーダー」として、大きな歴史の「うねり」が見えるかどうかの洞察力なのです。ほとんどの人は大きな「うねり」が見えず、「うねり」の上の小さな「波」しか見えず、これらの「小波」にしか反応しません。 世界的な経済学者の宇沢弘文先生(文化勲章受賞、本来は数学者です)によると、社会の基盤は教育、医療、農村、都会、金融と言います。これらの社会基盤資本はいったん崩壊すると、回復には10~20年の年月を要するものです。1990年以降の「グローバリゼーション」とともに、日本の低迷が始まりました。今もこの低迷はさらに深まり、問題はさらに大きくなっています。これらを象徴するような大事件が1995年に次々と起こっています。

まず、1月の神戸大震災。これは自然現象ですが、問題は高速道路等の崩壊です。その前年のロサンゼルスの地震で高速道路が壊れましたが、日本の技術は優れているから「こんなことはない」などと嘯(うそぶいて)いていましたね。自分達の技術におごり、過信があったのです。「技術立国日本」の根元が腐ってきていることが示されました。この後に起こった多くのスキャンダル、JR西日本のトンネル落石事故多発、東海村原子力、東芝のパソコンの顧客からのクレームへの対応、三菱自動車、雪印、日本ハム、三井物産、東京電力、みな根元は同じ問題なのです。次々に起こる技術と企業経営者の経営能力、管理能力の崩壊がここに現れていたのです。

次は3月のオウムサリン事件です。これはオウムの問題というより教育の崩壊の象徴です。私の教え子の一人も都庁事件で有罪となり、控訴審では私も証言しましたが、15年という判決で服役しています。悲しいことです。その後の現在にいたるまでの教育の崩壊の現状は皆さんご存知のとおりです。

次に起こったのが「住専問題」です。7000億円弱の公的資金投入について国会で大論争があり、結局この額の公金が使われました。それからは、山一證券、北拓銀行、長銀、日債銀と次々と破産、破綻し、ただただ大きくなるだけの銀行合併劇がつつき、しかし、これらメガバンクもかなり危ないとも言われています。ついに不良債権は50兆円ともいう額になって、今では「数兆円」の公的資金投入などはなんでもないような雰囲気になっていますね。この不良債権も本当は200兆円とも300兆円とも言われていますが、国内と国外での報道される額には大きな隔たりがあります。よく見てくださいよ。

ことほどさように、「事の本質」を見抜けずに、これらの事件を「個別の事件」のように扱い、その時その時の手当てで済まそうとしてきた、責任をとろうともしない、時代の大きな「うねり」の見えない「リーダー」達。このような「リーダー達」の歴史認識、計画変更への決断力、俯瞰的視点、国民への結果責任(※註)意識等の欠如は戸部良一、寺本義也、鎌田伸一、杉之尾孝生、村井友秀、野中郁次郎らによる「失敗の本質:日本軍の組織論的研究」(1984年、ダイヤモンド社:1991年、中央公論社 [文庫本] )、最近では文芸春秋12月号に掲載された立花隆の「戦艦大和と第二の敗戦」、先日私のコラムで紹介したアレックス・カー氏の「犬と鬼」(2002年、講談社)等にも明らかです(※註:これが「Accountability」の本当の意味であり、「説明責任」は明白な誤訳です)。

本質を見て、対策を立てていくことこそが「リーダー」の責任なのに、日本のリーダー達は腐っているのです。何かが間違っているのです。「なぜか」がわからないこと、これが問題なのです。これらの社会基盤の崩壊からの回復には20~30年かかるでしょう。

医療も同じです。頻発する医療事故は何を意味するのか。根本の問題に早く手を打たないとこれももっと大きなことになりますよ。そして、問題が大きなことになってからでは、医療の崩壊の回復には人材の育成を含めて、これも20~30年かかるのです。だからこそ私は嫌われても、そして多くの「既得権の大きい」人たちの耳には痛いかもしれない「辛口」の発言をしているのです。それでなければ、私達の次の世代、その次の世代はどうなるのでしょうか。これが今の世代の責任なのです。

次の機会には、20世紀後半の日本の驚異的な経済成長の秘密についても考えてみましょう。皆さんも考えてくださいね。そして未来への方策を考えてください。1月には日本学術会議から「日本の計画」という冊子を出版します。このような課題、提言が論じられています。またご案内しますね。では良いお年をお迎えください。

「医療の質」 谷間を越えて21世紀システムへ

Book021216

医療の質-谷間を越えて21世紀システムへ

米国医療の質委員会/医学研究所 著
日本評論社 A5判 (2002/07) 3,200

医療の事故が毎日のように話題になる。より複雑になる医療、高度医療の要因ばかりではない。医療人の能力、日進月歩の医療と医学、複雑化する医療のシステムのあり方が問われている。

情報化の時代に、患者の医療への期待と患者の権利の要求はさらに高くなる一方で、医療提供者の側としては、これらに対応できない医療制度、医療経済、医師の教育と研修の課題がある。

また、従来のような医師と患者の関係は劇的に変化してきている。これらを背景としていくつかの画期的な研究成果が発表され、医療事故と対策が大きな社会的課題になった。

1999年末に、米国医学研究所(Institute of Medicine of the Na-tional Academies, USA)は医療事故の現状へと目を向けるTo Err is Humanという画期的な報告を発表し、世界的な注目を集めた。これは本書と同じく医学ジャーナリスト協会訳(『人は誰でも間違える』)によって、日本評論社から出版され、多くの人に読まれている。

この報告によると、毎年米国で医療事故で死亡する患者数は交通事故死より多く、4万~9万人程度と推測されるというおどろくべき数であることを明確にしたうえで、原因についての解析と、いくつかの具体的な対策、提言を行なった。

これを受けて当時のクリントン大統領は、医療事故を「5年で半減させよう」という具体的政策提言を行ない、予算化し、政策を実行に移している。この特別予算措置は、医療事故で失われる経済的損失に比べればほんの些細なものであるという分析もなされているのである。しかも、ヒトのすることに事故はつきものであるという大前提をまず認識することに、この報告と政策は立脚しているのである。

日本でも医療事故は最近大きな話題になっており、この米国の報告とほぼ同時期に日本学術会議は「安全学」の重要性を提言している。さらに日本学術会議はその機関誌である『学術の動向』2000年2月号ですでに「安全の特集」を組んでおり、私も児玉安司氏とともに「医療の安全」について寄稿しているが、まさに原稿執筆中に発表された米国医学研究所のこの報告に気がつき、インターネットで検索、検討し、これを引用している。

さて、この本はその続編ともいうべきもので、医学研究所による原著は、Crossing the Quality Chasm : A New Health System for the 21st Century と題され、「谷間を越えて21世紀システムへ」という和訳の副題になっている。

本書の要旨として、「安全性、有効性、患者中心志向、適時性、効率性、公正性」の6項目について、本来あるべき水準からみて明らかに劣っているであろうと認識し、改善目標を提案している。そして、今後3~5年間に毎年10億ドル(総医療費の約0.1%程度)の予算措置が必要であることを明確にしている。 また、医療サービス提供には以下の6つの課題をいかに克服するかが問われるとしている。

すなわち、
  ・慢性疾患、症状に対するケア、プロセスの再設計、
  ・臨床情報処理の自動化を通した医師相互間、患者と医師間のタイムリーなコミュニケーションの確立、
  ・医学、医療の知識の的確な管理運用と教育、研修、生涯教育の充実と評価、
  ・終始連携のとれた一貫性のある医療サービスを提供できるシステムの構築、
  ・チーム医療の有効性を高める継続的な努力、
  ・日々の業務に医療プロセスとその結果を測定評価する手段を組み込むこと、であるとする。

さらに、これらの医療改革には医療を囲む外部環境の改革が必要であるとしている。これらの医療を囲む外部環境とは、
  ・新しい医学、医療知識と技術を医療現場に浸透させるインフラ、
  ・情報技術のインフラ、
  ・診療報酬支払方式、
  ・医療従事者育成への支援、である。

これにつづいて、「21世紀の新しい医療システム」、「医療システムをどのように改善するか」、「医療の再設計と質改善に資する新しい原則」、「最初の一歩を」、「改革に向けた組織的支援の構築」、「医療サービスにエビデンスを反映する」、「情報技術の活用」、「質の改善に整合する報酬支払方式」、「21世紀医療システムに求められる医療従事者の養成」の9章において問題がくわしく論じられている。

このように総括的で、具体的、しかも短期的、長期的視点をもあわせ、予算についてもふれた総合的対策が出てくるところが、いろいろ問題はあろうがアメリカのすごいところであろう。

わが国の現状と比べると、政府の責任者たちは医療の安全は求めても、医療従事者への注文ばかりで、総合的な対策がとれず、総医療費を切り詰めることばかり考えている。これでは医療も患者も社会も泣けてくるというものではあるまいか。日本でも医療事故対策、卒後臨床研修義務化、医学教育改革、医療のマンパワー不足等々、問題は山積している。21世紀を迎えて、高齢化社会、モノあまり社会にあって、思い切った政策転換と、公共投資の土木から健康への転換が求められているのに、それができない。

この本はすべての医療にかかわる人たち、とくに医療政策にかかわる人たちにぜひ読んでいただきたい一冊である。