「医学生のお勉強」 Chapter6:医療経済(6)

昨今の医療費自己負担の増加等の議論を聞いていると
いかに医療制度の本質に関わる論点が抜けているかが、
よく理解されるのではないでしょうか
セッションのオリジナルタイトル/Healthcare System and Healthcare Economy

 

■日本は44日、アメリカは8日。平均入院日数のこの違いはなぜか

――:
必ずしも不摂生をしているから病気になるわけじゃなくて、自分が非常に気をつけていたのに思いがけなくかかってしまうとか、ありますよね。
最近、朝日新聞で差額ベッド代の問題がでていたと思うんですけど、ある赤ちゃんがものすごい重病で普通の赤ちゃんとは同じ病室にいられないから、「個室に入ってください」と言われたそうです。個室に入ったら1日3万5000円もかかって、でも若い夫婦だったのでそんなお金を払えなくて、その差額ベッド代は赤ちゃんが亡くなった後も支払っているそうです。

井伊:
なんで払っているの?

――:
まだ支払いが終わっていないから。家族は赤ちゃんにベースの部分しか保険をかけていないと思うんです。そうしたら病気になってしまって。その後から保険をかけるわけにいかないので、差額ベッド代を払うことになっちゃうのかなと。

――:
日本と海外を比べると日本のほうが入院日数が長いですが、どのように考えられますか?

井伊:
どうして長いと思いますか? 日本が44日、アメリカが8日、OECD全体の平均が11.1日。いろんな比較があります。日本はだらだらと入院して、アメリカは逆にけっこう重病でも2、3日で退院させるんですよね。

上級生:
重病だと2、3日はないかもしれないけど。私が印象的だったのは彼らは身体の作りが違う。いわゆるアングロサクソンとか白人と日本人は全然違う。神経内科をまわったときに、MMTってとるじゃない? アメリカで86歳のおばあちゃんを僕は受け持っていたのですが、「私の手を引っ張ってください」って言うと、ぐっと引っ張るんです。日本ではそう言っても無理だと思う。本当に身体の構造が違うっていうのがあって。

井伊:
例えばアメリカでは心臓病でも2、3日で退院させちゃう。それでまた化膿しちゃって、戻ってきてまた医療費がかかってしまう。

上級生:
その戻ってきてかかった費用は病院側が払うんですよ。保険会社は出してくれない。心筋梗塞はアメリカでは4日間ぐらいの入院で帰っちゃうんです。だからまたどんどん入院してきます。日本では10日間ですから、倍ぐらい入院してる。

井伊:
それって医療費が安いからですよね。日本だと「入院太り」っていうのがあって、高額療養費って今いくらだっけ? 6万3000円、老人医療は3万7000円かな。それ以上は払わなくてよくて、例えば医療費が公的な保険でほとんどカバーされた上で、それプラス民間の保険に入っていれば5日以上入院すると1日いくらかお金がでる。だから本当は3日で退院できても、「5日目から保険がでるから5日にさせてください」ということになって。入院することによって支出より収入が増えたなんていう話、よく聞きます。病院は別に損するわけじゃないしね。インセンティブの問題ですよね。アメリカみたいに入院すると1日何百ドルかかるといわれると1日も早く退院しようと思う。

上級生:
例えばアメリカでは、「この診断ではどのくらいの入院が必要か」というのはすでに決まっているんです。だから本当は1週間かかるところを5日で退院させると、2日分は病院の儲けになるんです。だから一生懸命やる。逆にオーバーしたら病院が払うんで損するんですよ。日本の場合は老人の患者で、「家に帰りたくないからもうちょっといたい」と言われてしまうと、なかなか日本人の感情として追い出しにくいところがあると思う。

井伊:
私が持ってるのはOECDのデータですが、みんながそれだけ入院しているか、というとそうでもない。居場所がないから入院することは社会的入院といわれてるんですが、入院と外来で分けると日本は入院期間が特別に長い。でも医療費の中で入院費が全医療に占める割合が大きいかというとそうでもないんですよ。それはなんでかというと、看護婦さんの数が少なくて人件費がかかっていないから。だから日本は外来のほうが医療費に占める割合が大きい。
昔はほとんどの患者さんが伝染病、感染病、結核なんかだったから、大部屋に何人かいておとなしくしているので、看護婦さんも2、3人でよかったけれども、今は人それぞれ病状が違うので、難しい治療したりたくさん薬を使ったりすると、1人の看護婦さんが見られる患者さんの数が限られてくる。今、医療過誤の問題を考えると看護婦さんをもう少し増やさないと。これは私の考えですが、公的にカバーする部分の医療費はもうちょっと減らしてもいいような気がしますが、お医者さん、看護婦さんを増やすという部分ではもう少し増やしてもいいと思う。正確にいうと日本はベッド数が多いのでベッド数を減らして、1ベッド当たりの医者や看護婦の数を増やすべき。

司会:
次のトピックに入る前にみんなちょっと疲れているみたいなので、10分休憩しましょう。

 

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■井伊雅子 Dr. Masako Ii

Profile
講義の中でも自己紹介をしていますが、私は学部(国際基督教大学)の学生のころから貧困や所得分配など開発途上国の問題に興味をもっており、大学卒業後アメリカの大学院に進学しました。当時、開発経済の分析ではマクロ分析(成長論、金融論、貿易論など)が主流でしたが、国全体としての経済成長率というようなマクロ的な分析よりも、一国内における資源配分の問題(たとえば医療機関や教育施設へのアクセスなど)といったミクロ的な分析に興味を持ちました。その後、世界銀行という途上国への援助をおこなう国際機関の本部(ワシントンD.C.)の調査局で働く機会がありました。ちょうど世界銀行が途上国に援助をするにあたり、GDPや失業率といったマクロデータだけでは情報が不充分で、家計レベルのミクロデータ(世帯所得、世帯人数や世帯員の年齢、性別、学歴などの細かい世帯情報)を集めだした頃でした。
世界銀行での私の仕事の1つはラテンアメリカの医療制度の分析で、とくにボリビアとエルサルバドルの医療改革に関りました。日本の医療制度に興味を持ち始めたのは、こうした医療制度改革の仕事を一緒にたずさわった現地の仲間達の日本の制度への強い関心からです。

Message
ちょっと経済の話しをしてよ。という黒川先生の言葉に誘われて参加した現代文明論の講義ですが、とても楽しい経験となりました。講義が始まる前にEメールでいろいろな資料を交換し、議論がすでに始まりました。どんな学生さん達なのかなと期待して教室に向かうと、学士入学者対象の講義ですから、社会人経験者、留学経験者、公認会計士の資格を持っている人、医学以外の専門分野や興味を持っている人たちの面々。私が参加した講義は最後の回でしたが、今回講義内容を本にするということで、最初の5回の講義の原稿を読みましたが、皆の顔を思い浮かべながら、ディスカッションにひきこまれていきました。
経済学の視点からもどれも重要なトピックばかり。若い女性の偏食やダイエットが骨粗しょう症による寝たきりの中年期を起こす可能性が高いそうです。自分はしっかり食べているから安心と思っている人もいるかもしれませんが、日本の今の保険制度の下では、そうした(若い頃に無茶をした)人達の医療費は日本国民全員の責任として支払うことになっています。産婦人科の分野は経済学的な分析は日本ではあまりなされていませんが、正常分娩は保険が適用されていませんから、さまざまなサービスを提供する産院が出てきており、「医療サービスへの競争導入」という視点からもホットなトピックです。また、不妊治療には高額のお金がかかり、少子化の進む昨今保険適用をするべきという声もあります。けれど皆のディスカッションから、遺伝子や生殖医療の視点から、安易に経済的な側面からのみで議論できる問題ではないことを実感しました。そして、子供を切望して不妊治療を受ける人がいる半面、年間の中絶は50万件ぐらいあり虐待児の問題も増加しているといいます。こうした問題は、医学生だけではなくてみんなで考えていかなくては。
最後に講義の印象ですが、黒川先生が学生に大人気で、教師としてのあり方も教わりました。楽しかったです。また呼んでくださいね。

 
Exposition:

  • OECD(Organization for Economic Cooperation and Development)
    経済協力開発機構。1961年設立。先進工業国を中心とする経済に関する国際協力機関。パリに本部を置く。そのメンバーは欧州諸国、アメリカ、日本などの先進工業諸国を中心に30カ国からなり、その主な目的は、経済成長、開発途上国援助、自由かつ多角的な貿易の拡大の三つに要約できる。
  • MMT(manual muscle testing)
    徒手筋力テスト。身体だけで行う運動を徒手運動といい、それによる筋力テストをMMTという。このテストは人体の主要関節を動かす筋の筋力を特別な器具を使わずに検者の手で測定する方法である。健常者の運動と比較して筋力の評価を行う。どの筋に障害があるか、また治療による筋力の回復状態が定性的に判定できる。

 

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