「医学生のお勉強」 Chapter1:安楽死(4)

死を待つ患者さん達にとって、医師は何ができるのか
どのような役割が期待されているのでしょうか
セッションのオリジナルタイトル/The End of Life and Euthanasia

 

■自分の周りにある家族、社会、歴史

――:
まだ私がこの大学に入る前に仕事関係でおつきあいのあった女性なんですが、大学の先生で作家だったんです。昔若いときにイタリアに住んでいらしてイタリア人と結婚したんですがすぐにだんなさんが亡くなられたんで、その後日本に戻ってこられて・・・。結局1人で生きていらっしゃった方でものすごく強い方だったんです。お知り合いだった先生のいらっしゃる病院に入院されていて、その先生は、この人だったら告知をしても耐えられるだろうし、1人で生きていらっしゃることもあってその後の人生のためにいろいろと処分しなくてはならないこともあるだろうと、告知をしたんですね。まあこれは稀なケースだと思います。その人は若い頃から主治医の先生とは家族ぐるみでおつきあいがあった関係で、「何かあったときには告知をしてほしい」ということは言っていたようです。
私はその人が告知を受けた後に1年間ぐらい毎週病院に通って、仕事の手伝いとかさせていただいていました。その女性はたぶんメンタリティーの部分では西洋系のものをすごく持っていた人ではないかと思うんですが、やっぱり心の奥底のところでどうしても日本人であったというか・・・。告知を受けて闘いながらも精神的に乱れていく様子というのを間近に見てしまったんです。
私は論理的には告知には賛成なんです。たぶん医者になっても告知をしていく方向へもっていきたいんです。それを患者さんがどう受け取っていくか、それをどうサポートできるかということを、考えたくて・・・。文化的な違いというのは変えられないので、そこのところのバランスをどうとっていけばいいのか、考えられたらいいなあと思っています。

――:
告知されたんだけれども、どこかで日本人的な心性が入り込んでそれによって苦しんだ?

――:
日本人的な心性じゃなくて、人間的な心性なのかもしれない。もちろん人間は誰でも、うーん・・・。たぶんその人はイタリアにずっと住んでいて、完全なキリスト教徒だった。そういうふうに自分のことを私に語っていたし、「死は怖くない」って、ずっと言っていたんだけど・・・。

――:
告知に耐えられるか、耐えられないかというのは誰にもわからないと思う。

――:
すごく弱いと思っていたのに、土壇場ですごく力が出る人もいるし。でもわからないんじゃないですか、他人から見たらその人がすごく弱いのかどうか。

司会:
司会をチェンジしたほうがいいのでは?

――:
司会はいらないんじゃないですか。

司会:
それはみなさんで決めてくれれば。

黒川:
どっちでもいいよ。

司会:
どっちでもいいですか。ではこのまま流れましょう。

黒川:
例えば、その女性もそうだけど、宗教心が必ずしもあるわけじゃないけど、西洋の科学とかいう近代文明というもの。例えばメソポタミアエジプトではなく、もっと最近のここ数百年の世界の産業革命以降の価値観とかは、意外に当たり前だと僕らは思っているかもしれないけど、実はユダヤ教とキリスト教の流れというのが基本的にあるわけ。ユダヤ教とキリスト教というのは神様が1人いて、神様と人間との契約があるわけ。イスラムだって一神教。教会に行かなくてもそういう契約がある。オリエンタルは少し違う。日本はそういう「倫理」とかの座標軸がどこにもない。それがまた日本の特徴でもあるんだけど。そういうことも考えないと。
もう一つ、ヨーロッパとかイギリスやドイツ、日本とか中国とかが持っている長い歴史があるじゃない。歴史が長いということは、そこで法律に書かれていなくても、黙っていても、みんながそうだなって思っていることがたくさんあるわけだ。でもアメリカはまだ300年しか経ってないから、それがないんだ。もともとはアングロサクソンの移民の国で、しかも、もとの国でハッピーでない人たちが行くんだから。イギリスの貴族の高貴な人なんてわざわざ行くわけないんだから。だからパイオニアスピリットというのか、ここで何かやってやろうという人が行く。となると、多国籍民族であるがゆえに、法律にもいろいろ契約とか、明文化しておく必要がある。また西欧の個人主義が根底にある。だから、例えばセカンドオピニオンとかアドバンスディレクティブっていうのは、そういう背景や価値観があって初めてでてくるから、非常にロジカルで、明確。いろいろなファクターがあるけど、日本ではなまじかりなところがある。
だからアドバンスディレクティブとかでもそのへんの背景を十分にわかった上で言わないと。知ったかぶりでは実世界とギャップがあることがいくらでもある。PBLとかクリニカルクラークシップとか、先生と生徒の関係とかみんな同じなんだよ。アメリカに行くと上下の関係よりは、みんながパートナーだと思って常に一緒になってやっているでしょ。日本だと常に上下の関係になってしまう。それはなぜ? というのはやっぱりそういう歴史的な背景がある。アドバンスディレクティブというのは何かというと、あらかじめ「こうだったらどうしますか?」っていうのがあって、いろいろとランクがあるんだけど「自分はこうしたい」ってリビングウィルみたいに書いておく。
日本の人に「アドバンスディレクティブっていうものなんですけど」って言って、その人の価値観、職業、宗教とかもかいておく。「じゃあ、そうなったときに、あなたが書いたように実行してほしいですか?」って聞くと、「家族と先生と相談をしてやってください」って言うわけ。「その通りにしてください」っていうのは、日本では11%しかいない。意外とそうなんだよ。いざとなったら自分のことでも自分では決められない人が多い。

――:
もちろん歴史とかいろいろな社会の背景があるとは思うんですが、でもやっぱり病院も受身だけじゃだめだと思うんです。そういう考える場を与えるだけでもいいかなと思って、ちょっとそういうアンケートをとってみたんです。別にそういうのを書かなくても、「とりあえず考えてみて」って

――:
先生がおっしゃっていた「契約」っていうのは、アメリカの場合は、自分のことは「知る」権利があるから教えないとだめ、っていうのがあるんですよね。

黒川:
そうだね。

――:
だけど、アメリカ人の女の子とちょっとしゃべったことがあって。狂信的なキリスト教の信者だったんですよ、その子(笑)。それで自分もけっこう勧誘されそうになったんですけど(笑)、それでそのときに、「私は死ぬのは全然怖くない、神様のもとに行けるから全然怖くない」って話をしていたんですが、僕はそういうのを信じていないから、死ぬのは怖いと思う。その状態で告知をされても絶望しか残らないから。その後の死ぬまでの期間を幸せに生きられるというフォローみたいなものがあれば告知してもいいと思うんですが、契約みたいな考えにとらわれすぎていたら、かわいそうな人もでてくるんじゃないかなって思います。

――:
まだあまり勉強していないからわからないけど、日本の場合は、そういう充実した時間が死ぬ前に送れるのだったら、たぶん告知してもうまくいくんじゃないかと思いますが。

黒川:
言った後にどうやってケアをしてあげられるかというのと、それを家族がするのか、医療提供側がするのか、社会がするのか、というのが問題。そのときのよりどころが何か。あなたのガールフレンドがキリスト教とか。それによるよね。あなたもそういうふうに言っていても、実際に自分がそうなったらまだわからないよ。

――:
そのアメリカ人の女の子の場合は、もう死ぬと決まっていたら、例えばアメリカででた新薬とかを飲んでみたりとか、そういうチョイスまで入ってきたんです。

黒川:
最近、女の人でアメリカに行って乳がんと闘っていたというジャーナリストもいたし。テキサスにいた人で最後まで死と向き合いながら、がんと闘ったひともいたじゃない。

――:
千葉さん?

――:
千葉さんはニューヨークに行っていたひとでしょ。もう1人、ずっとテキサスにいた人が最近亡くなった。女性のほうが強いかということは次回の「ジェンダー・イッシュー」でやりましょう。  やっぱりいろいろな問題があるなあと思ってね。日本はやはり家族がかなり役割を果たすというか、「個」が成立しにくい。やっぱ最後は常に仮定としてのケースです。実際に「本当にしますか?」という問いかけに対して10%ぐらいですよ。「その通りやってください」という人は。毎年毎年状況によって気持ちも変わってくると思う。
その一つの理由は社会的にその人がどうしているか。必ずしも家族だけではないから、人によって違うと思うんだよね。例えば、「あと6ヵ月の命だ」というような人で、外来で診断がついてしまうこともあるじゃない。でもがんだっていうことを知らないんだから今は比較的元気なんだよ。話を聞いたら、「どうもあの人は告知をしてほしいと言っているらしい」ということで、熱心なキリスト教徒だって。だけど、その人は中小企業の経営者で従業員が200人いるといったら、またこれも変わってくるんじゃないの。ワンマン社長で、あとのいろいろな資金繰りなんかどうなるのか社員では何もわからないということがあるとするじゃない。そういうことがあったら大変だよね。そんなときに「うちの病院は告知しますよ」と言っても、本人はそう思っていないかもしれない。「告知する」って知らなくて来ているかもしれない。「違うと言ってくれるんじゃないか」と思ってくる人もいると思うし、まさかうそはつかないとは思うだろうけど。でも告知された途端にショックを受けるだろうし。ということもあるから「する」「しない」ではなく患者さんの状況もあるとは思うけど。
もう一つは家族。家族が看護婦さんとかからいろいろと情報を引き出して、「お父さんはがんかな?」って思っちゃうこともあるよね。今言ったような中小企業のワンマン経営者で相当社会的責任が大きくて従業員200人とかいって、その人が死んじゃうとまだ50歳だから、子どもさんがまだ高等学校3年生くらいで跡継ぎどころではない。さあどうする? 兄弟も犬猿の仲だったりして。そうするとやっぱり医者がしなければならないことは、患者さんの内面をもっと探る努力をしないと。家族に先に言ったらどうなると思う? 普通日本の家族だったら奥さんと子どもさんが、「大変だうちのお父さん。黙っておこう。お父さんには好きなことをさせてあげよう」と言っているうちに、お父さんは食べられなくなって、足が立たなくなっちゃう。もし本人に先に言ったら、「そうか、それだったら私はすることがある」という人もいくらでもいるし、急にダメになってしまう人もいる。それは本人の反応だから。さあどうする? だって家族に言ったら、言われた途端に家族の価値の座標軸で動くんだから。会社とかをどうするとかいうことはまず本人が考えて、それを家族に言うか言わないかは本人が決めるんだから。そういうのだったらどうする?

――:
うちは家族でよく話すことがあるんですが、うちの母は「告知はしないでくれ」って言うのです。うちの父は「告知をしてくれ」って言うので、私も自分がどっちの立場というのは決して立てない。母のときにはしないだろうし、父のときにはするということで。
ですから原則としてその相手と話をする時間があるのであれば、相手の気持ちを汲み取って、告知をするか、しないか。日本というのはどうしても家族社会だから家族の人の気持ちも考えてあげないといけないと思うから、基本的な立場はこうですっていうのではなく、総合的にみて、この人にはしようかな、この人にはやめようかな、っていうふうにケースバイケースで考えていけたらなあって思います。

――:
なんで日本は家族に先に言うようになっているのかな。それは家庭社会だからってすごく普通に私も口にするんだけど。なぜでしょうか?

――:
なんか医者が楽だから・・・。

――:
生き死にのことだけじゃなくても、精神病とかでもそうでしょ。

――:
やっぱり戸惑うでしょ。「この人がんだ」って自分で確信を持っても、言えないでしょ。「やっぱり違います、って言っておいてもらえませんか」って言われて・・・。

――:
言葉は悪いけど、医者の責任回避的なのがまずい。

――:
私は文化的な背景が大きいと思う。でも戦前とかは病院に入院するときでも、家族が一緒に病室に入って布団を敷いて寝ていたりとか。そういう感じでしたよねえ。私は知らないけど(笑)。

――:
変な言い訳している・・・。

――:
それがずっと残っているわけで。でもそれはここにくるまでの歴史があって、欧米とは病院の成り立ちがそもそも違う。

黒川:
そうそう、そりゃそうだ。昔は病院というのはさっき言ったようなヨーロッパの文化とか価値観が背景にあるシステムだから、修道院、教会とかがチャリティでやっているわけ。あとはすごくお金持ちのハプスブルク家とかのチャリティとか。歴史が違うんだよ、確かに。だけど今の日本は1年間に90万人ぐらいが死ぬ。そのうちの90%の80万人がなんらかの格好で医療機関で死んでいる。でも昔はそんなことないよね。もっと昔は「姥捨て山」なんていうのもあって・・・。

――:
それは・・・。

黒川:
案外あれは健全なシステムだよ。告知だもん。江戸時代なんて社会の理想図なんてないんだ。泣く泣く年老いたお母さんを背負って『楢山節考』っていうのがあるでしょう。だってみんな食べられないんだから。どうするそうなったら? その人は生きているだけで生産性がないから病気でもないのに、ただ「年が来たから」って告知だよ。だから泣く泣くお母さんを背負って山に捨てた。今は日本では食べられなくなったら、残った食べ物をみんな捨てちゃうじゃない。捨てずにみんな食べてたら、太っちゃうじゃない。どうする?
日本も今に「姥捨て山」みたいになっちゃうぞ。介護保険なんて言っていると。介護保険をどうするかというと、お金を全部若い人から取っているわけだから。「私のときはどうするの?」って言うと「知らないよ」って。

 

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■仲間たちの横顔 FILE No.4

Profile
私は、他大学の経済学部を卒業後、浪人して東海大学医学部の一般試験に合格して同学年の2年次に編入しました。医師を目指した最初の動機は、単に手に職をつけたいというものでした。それまでは医師になるなど考えもしませんでした。しかし入学して東海大学で医学を勉強していくうちに、いままで知らなかった様々なことを知り、医師として何かの役にたちたいと模索する日々を送っています。

Message
現代文明論の授業では医療のことを中心に討論してきたわけですが、医療を考えるのに法律、経済、社会にいたるまで密接に関係しており、それらを切り離して考えることはできないことを実感しました。例えば医療費の問題では医療資源は無限ではないこと。その中でインセンティブを適切に加えていくことで、今まで日本の医療の良い面を残しながら、健康や医療を、国内経済として成長させていくという黒川先生の考えにはとても共感しました。この授業に参加していくうちに、今の医療は完全なものではないが今までの経験から学んだり、様々な角度からアプローチを試みることによって道が開けていくこと、完全に正しい方法などは存在せず絶えず次々と起こってくる問題を多角的に考えていくことが大切であると思いました。ときにハンバーガーを食べながらの討論や最終日の打ち上げなど楽しいひとときも経験でき、思い出に残る授業でした。

 
Exposition:

  • メソポタミア文明
    紀元前3500~3000年頃。小アジアのアナトリア高原東部に位置するチグリス・ユーフラテス川流域に生まれた最古の文明の一つ。この地域は水量が豊かでときに大洪水を起こしたが、流域の沖積平野には灌漑農耕による都市文明が成立した。
  • エジプト文明
    紀元前3000年頃。ナイル川の流域を中心とする最古の農耕文明の一つ。定期的な増水が肥沃な耕地を生み出し灌漑農耕文明が開花した。メソポタミア文明、インダス文明、中国文明と並び、世界四大文明といわれている。
  • 産業革命
    「産業革命」という古典的な概念を初めて提唱したのはイギリス人経済学者トインビー(Arnold Toynbee;1952~1883)であり、「産業革命」は歴史的に複数回位置づけられるが、一般的には18世紀のイギリスにおいての手工業から機械工業への転換である「産業革命」を指し、それに伴う経済成長の時期であるとされている。
  • ユダヤ教
    キリスト教、イスラム教の二大宗教の前身であり、現在まで3千年以上存在する厳格な一神教。開祖モーゼの律法を基礎として唯一の神ヤハウェを信奉。旧約聖書(トーラー)とタルムードを主要聖典とする。偶像崇拝を禁じ、性忌避の戒律が極端に激しく、安息日を守り、割礼を実施する。「ラビ」は教祖の敬称。ちなみにユダヤ教信者の頭の上に乗っている小さな縁無し帽は「キパ」と呼ばれ、人の謙遜の心と神様が自分の頭上にいることへの意思を象徴。
  • イスラム教
    アラーの意思を伝える預言者マホメット(=ムハンマド(アラビア語))によって610年頃に作られた厳格な一神教。唯一の神アラーを信奉。コーランを聖典とし、教義は「六信」(アラー、天使、啓典、預言者マホメット、来世、天命)と「五行」(信仰告白、1日5回のメッカ礼拝、ラマダーン月の断食、喜捨、メッカ巡礼)。「モスク」はイスラムの礼拝堂のこと。
  • オリエンタル
    ここでは東洋的なもの、という意。
  • アングロサクソン
    5世紀半ば以降ドイツの西北部からイギリスに渡って諸王国を立てたゲルマン民族の一部。今日のイギリス国民の根幹をなす。イギリス国民および英語を話す国民の意にも用いる。
  • PBL(problem-based learning)
    学生が自ら見いだした課題などを、学生が中心となって教員と相談したり資料を調べたりして解決する学習方法。米ハーバード大学が導入したことで日本でも広まりつつある。
  • クリニカルクラークシップ
    基礎的な知識を身につけた医学生が、臨床医の指導の下に実践医療を学び、臨床の現場で医療チームの一員として許された範囲で医療行為も行える臨床実習。東海大学では1997年秋からカリキュラムに導入。他大学では例をみず、まさに革新的な試みと言える。クリクラやCOSは略語。
  • 千葉敦子(1940~1978)
    ジャーナリスト。学習院大学政経学部卒。東京新聞入社。ニーマン・フェローシップを経てハーバード大学大学院留学。58年ニューヨークに転居。アメリカで乳がんの治療を受ける。著書『昨日と違う今日を生きる』他多数。また、ここに出てくる「テキサスにいた女性」とは、『アメリカで乳がんと生きる』の著書松井真知子氏のこと。
  • ハプスブルグ家
    オーストリア帝国の王統。ヨーロッパで最も由緒ある王家の一つ。神聖ローマ帝国の皇帝のほかにも婚姻関係によって約150年にわたりスペインの王位も占めた。
  • 姥捨て山
    一定年齢以上に達した老人を山に放置するという昔話。元々はインドから中国を経て日本に入って来たとされるが、日本に実際に老人を捨てるような習俗があったかというと否定的な見解が多く、姥捨て山の話は養老の精神を説いたものとされる。
  • 楢山節考
    1956年発表の深沢七郎の小説。各地の姥捨て山伝説に取材して構成されている。食料不足のため70歳になると老人は捨てられるというある信州の村の老婆と息子の物語として書かれた。2回映画化され、83年には今村昌平監督の「楢山節考」が第36回カンヌ映画祭のグランプリを受賞している。現代にも通じる難しいテーマである。
  • 介護保険
    要介護状態になったときに所定の保険料負担の下で、在宅介護または施設介護にかかわる一定の給付を行う社会保険制度。2000年4月から介護保険法が施行されている。この導入によって従来の家族介護が社会化されたともいわれている。

 

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